私が瞑想を日々の日課に取り入れたのは
10数年前にインドで瞑想を習った後からでした
生徒さんや友達、仕事関係の方たちに、瞑想してますか?
と聞かれることが最近多くなったと感じます。流行りでしょうか
ただ、私の師は、瞑想中のことに関して語ることを決して勧めないので
瞑想中に起きたことに関して殆ど語ったことはないのですが
瞑想することによって得られるメリットの素晴らしさは実感として伝えたいと思うので
そのあたりもまた、書きたいなと思っています。
ここ2,3日瞑想のときに罪悪感というワードが気になる瞬間がありました
私の中にも潜在的に罪悪感はあり
何かをきっかけに顔をのぞかせます
それについて
とりたてて考えることでもなかったですのですが
もう、何年も前に、チベット仏教のお坊さんの話を聞いたとき
チベット仏教には罪悪感とう言葉もないし、言葉がないのだから当然概念もない
というのを聞いて、はじめて罪悪感というものについて深く考えました
罪悪感がなぜ生まれるのかというと
自分に対し、ネガティブなジャッジメントをするからですよね
しかし、私たちにはもともと
嫉妬、憎しみ、意地悪、妬み、不安、悲しみ、恐怖・・・
など、ネガティブなマインドが、標準装備で備わっています
もともとあるものについて
どうしてこんなものがあるんだ。。と悩んだところで
それはまるで、どうして私の顔の中央には鼻があるの?と暗く沈んでいるのと同じ。。
負のマインドがあること自体は仕方がないので受け入れて
その、マインドの動きのメカニズムを分析することが大切です
「あのとき怒ってしまった私、バカ、バカ、バカ」
と自分を責めても、残念ながら解決には至らず、不毛な落ち込みになる
そして、さらに
自分自身の評価を下げ、自分の持っている才能、能力、可能性を見えなくしてしまう
そう、罪悪感は
素晴らしい自分のポテンシャルを、自ら完全ブロックして、どんな良い流れにも乗れない自分にさせてしまう。
それよりも
どうしてあの時、怒りっていうマインドが動いたんだろう
その原因に反応する自分がいるのはどうして?
いつからその原因によって怒りを抱くようになったの?
家族間、お友達関係、学校。。
古い記憶にそのヒントがあるのかな?
他にはどんなことが怒りの原因になりやすいんだろう
そのように客観的に分析して
自分が持つ、自分オリジナルのメカニズムが少しでも分かってくると
同じシチュエーションでの怒りが弱くなり、いづれ消えていきます
空に様々な雲ができるのは
水蒸気、風、温度、塵、気圧・・・様々な条件が整った結果としてですよね
もしかしたら
あなたの怒りの原因が、幼いとにお友達から言われた言葉だったとしましょう。
そのお友達は、いつも母親から叱られてばかりで、ストレスが溜まって、たまたま同じクラスで隣にいたあなたに八つ当たりしていて。。
と、様々な条件が整って、あなたにひどい言葉を言った
その言葉によって傷つけられたまま大人になったあなたが
その傷に触れられたときに、怒りを覚えても
それは、本当にあなたが悪いのでしょうか。。
では、お友達がわるい?それとも友達の母親が悪い?
それは
空に色々な形の雲が浮かぶみたいに
様々な条件が整った結果として
あなたの中に怒りが出たのです
お友達もそう、母親もそう、様々な条件が揃った結果、そういった言葉や行動になった
それぞれの個人が作った負のマインドではない
我々の考えが及ばないほどに多くの多くの作用があった結果として、もともとあったものが姿を現しただけ
だから、そのマインドに苦しめらる必要はないのです
必要のない苦しみが罪悪感です
建設的でないものは仏教にない、だからチベット語に罪悪感はないとおっしゃっていました
そんなマインドに苦しめられている自分を早く救いだしてあげるために
罪悪感を手放して
負のマインドの出現メカニズム解析にうつりましょう
自分の可能性が解放されて
素晴らしい自分の才能を見つけたりするかもしれません☀