そろそろ何か動かないとあ・・
なんて思ったことありませんか
私自身も、一緒に活動しているドクターともよく口にする言葉です
私はフットワークが軽いように見られることがあるのですが
決してそんなことはなく、重い腰をあげるためにいつも多くのエネルギーを必要としています
ただ、「動いてください」という指令が、時々自分の中からくだされ
そこに背くことは後々非常に後悔するのではないかという強迫にも似たそのインスピレーション
から逃げることができず、行動をおこしている感覚が殆どです
そして動いた先、自分の思うような結果を生まないこともよくあり
落胆する経験も少なくないです。
しかし
なんらかの扉をノックすると「その扉は開かなくても思いもよらぬ扉が開く」という経験を多くしています
そして意図せず開いた扉をのぞくとそこに考えもしなった世界が広がっている。。
その世界で様々な新しい経験をし、人に触れて想像もしていなかった道を歩いている
そんなことの連続な気がします。
振り返れば、それは楽しくとても有意義なものであったなと思います。
ただ、それは結果であって、最初のときに頑張ってノックした扉が開かなかった瞬間というのは、やはりとても落胆し疲弊するので
その記憶が次の行動を起こすときの私の腰を重くする要因になっているのも確かです
そんなとき古典の中で読み返す文章がありますが
行動とその結果を確信し、行動を起こしなさい。
と綴り、その後で
自分の行動が無駄であったと思い込んではいけない(チャラカサンヒター)
と綴っています
自信をもって良い結果にフォーカスすること
そしてその思いの強さが現実化の可能性を大きく引きのばすこと
(更には準備万端、用意周到という意味も)
を語っているのかなと思っています
ただ、一方で
現実を作っていくとき
自由意志(自分で切り開けるもの)と運命(自分の意志ではどうにもならない定め)
の力関係はハーフハーフと言っているので
どんなに強い思いで取り組んでも
叶わぬことがあることを知っている
だから"無駄であったと思い込んではいけない”と綴っている
さらに、私の経験のように
起こした行動が別のご褒美を別のタイミングで持ってきてくれていることもある
自分の小さく狭い価値観で、一生懸命行ったその行動を安易にジャッジしてはいけない
と教えてくれているのだなと思います
気が付いたら今年ももう10月。。。
このペースで時が進んだら人生なんてあっという間に終わってしまう、と思ってしまうのです
本当はやってみたかったこと、やりたいこと
限られた時間だから、自分に経験させてあげたいな、、と時々考えています。