アーユルヴェーダやヨーガの勉強をしていると
嘘をつかない
真実を語る
という教えが頻繁に出てきます
そこで
嘘とは・・と考えてしまいます
人を傷つける真実もたくさんあるし
人を癒す嘘もある
私も講座や講義の中で「嘘」についての話をしなければならない機会があります
アーユルヴェーダの古典を調べても
嘘の定義については言及していましせん
きっと何らかの理由があって詳細を語っていないのでしょう
ただ、スシュルタ(解剖学中心の古典)の中に
古典の知識に関連した知識を(信頼できる学問から)学びなさい
いうようなことが出てきます
それで私は、嘘の定義について師匠に質問しました
「簡単に言うと・・」
と、師匠は前置きし
自分を守るため、エゴのための嘘が、嘘
人のため、社会の平和や調和のためにつくのは嘘ではない
ということでした
そして
たとえ、人のためと思ってついた嘘が悪い結果を生んでしまったとしても
動機が善意からであればそれは罪ではない
さらに
自分が成長した後で
あのときの嘘はふさわしくなかった・・と気づくことがあっても
その時の自分が精いっぱい考えた末の善行であったならば
それは罪にはならない
と話してくださいました。
私の師匠は本当に真摯に精神修行を行っている
クリアで立派な師匠で
この話をしてくださっている彼の眼をみながら
熱いものが込み上げてきました
自分の中で
よかれと思ってついた嘘に、罪悪感を抱いている思いが
深いどこかにあったのかもしれないと思いました
そのあと、師匠は
嘘だけでなく、行いにおいても
結果ではなくて動機によって罪になるかならないかが決まるという話を丁寧にしてくださいました
師匠から受け取る言葉の数々は
本当に私の宝だなと思います
そして
学ぶことで人は救われたり進む力を得たりできるんだなと
いつも教えられます。
12年間嘘をつかないと
ヴァークシッティ(真実を語るもの、言ったことが現実化するもの)になるそうです
自分の言葉がどんな動機で発せられているのか
時々は意識したいです
そして
『真実を話す』というのは
『事実を話す』ということではないのだなと知り
自分の『真』を語る人になりたいなと思います